船出なのである



今日はお葬式。

…いや、一月に二回も参加するとか思わんかったわ…。
これが時が流れるってことなんですねぇ。
私より年上の人との別れが増えていくわけですよ。イヤですよねぇ…。
こういうのがイヤだから、四半世紀でコロっといきたかったわけですけども。

ともあれ、無事に終えることができまして。
寝ずの番をしなければならないわけじゃあなかったので、全然普通に居れましたけどね。
むしろ、通夜の方が眠気がやばかった…。仕事終わって即行家に帰って喪服に着替えて直行というハードスケジュールだったから…。

昔、お世話になったよなぁ…。と、いうことで会いに行きましたけど。
とても近所の人やら色んな人に慕われていたようで、沢山の人がおりまして。
平日だというのに、来てくださってありがたい話ですよね。


なんともかんとも、亡くなったとか、死化粧を施された穏やかな顔を見る分には、ショックもあまり受けないんですけどね。
なんというか、ホラ。結局、人は死ぬものですし。早いか遅いか、突然か準備ができているかの違いがあるだけで。
死ぬ、ということ自体には、あまりショックは受けないんですよね。
幸いにも、今回も含めた葬儀をしたみなさんは、老いで穏やかに死んでいった人なわけですし。

幼稚園から一緒だった友人が、病気で亡くなって、その時の死に顔はさすがにショックを受けましたけどね。病気って、恐ろしい。


個人的に一番ショックを受ける瞬間は、焼いた後ですね。
こう、ミステリ畑で育ったもんだから、焼いた後にあんまり骨が残ってないというか、骨の残り方にショックを受けますよね。頭骨とか綺麗に形が残ったりしないじゃないですか。
それこそ、大腿骨とかの部分は綺麗に残ってますけど、すねとか肋骨とか、もう殆ど見る影も無いですし。
焼き場の人が、これは何処の骨これは何処の骨って取り分けていくの、すごいですよね。
で、その取り分けて行く時に、箸で突いて砕くところがまたショック。
あんなにも脆くなっちゃうんだなぁ、と。ホント。
立派に残った骨も、砕いて壷に入れやすくして。
まー、あれは慣れなさそうかなぁ…。ホントに。


どれだけ祈ろうが、老いには勝てないし、死は訪れるものですけども。
なるべくなら、あんまり関わりたくないですね。やっぱり。
みな、できれば長く生きて欲しいものです。
いや、みんな八十を超えて往生していったんですけどね。ハイ。



さあ!気分を変えて!
明日はお休みなんだけどなぁ。カラオケ行きたいけど軍資金が無い。
仕方が無いから家でじっとしてるしかないか…。
何か、ストレスを解消できることをしたいなぁ…。

エセ宗教家



日本人は迂闊な行動を取れない、っていうね。
彼らは人の目を気にする生き物…もっと言うなれば、自分が人に目にどう映るかを気にする生き物だから。
だから、自分から動くってことを、基本的にしない。
そういうことをする必要がある役職の人間だけが、自分から動く。
で、当然のことながら、一番の権力を持っているのは、自分から動ける役職持ちの人間なのよね。
でも、日本人はそんな人間に対して色々批評者振って横槍入れるのが好きだから、一番危険な立ち位置でもある。
逆に言えば、自分から動かない人間は、横から口を出すことが大好きなんだ、と。
もっと言えば、自分は関わりが無いというスタンスを貫きながら、横槍を入れるのが好きだ、と。

そういう人になっていませんかねぇ?

楽ですもんねぇ。そういう立ち位置。
高みの見物と同じですもん。
そうやって高笑いしていれば、自分が傷付くことも笑われることもないですもんね。

運が良い人は、そうやって生き続けられますけども。
そうは問屋がおろさないって場合の方が多いんですよね。

笑ってたら、笑ってる顔を見られて、腹を立てられ、無理矢理舞台に引きずり上げられる。
そしたら、今度は自分が笑われる側になる。
さっきまで自分と一緒に笑っていた人が、今度は自分を笑い出す。
さっきまで自分が笑っていた人が、今度は自分を笑い出す。

人からどう見られるかを気にして生き続けてきた人にとっては、耐え難い屈辱ですよね。
あとはどうなることやら、ってカンジですけど。
ここでツラの皮が厚くて開き直れる人は相当ですけど。ま、来世に期待ですよね。今世では解脱できません。


匿名だからって、他人を煽ったらいけませんし。
何も起きてないからって、不安を煽ってもいけませんし。
専門家じゃないのに、戦争を煽ってもいけませんし。

誇らしげに「学級会」を掲げてるのはどうでしょう。
それって、「うだうだと無駄な話を続ける為に、貴重な時間を割いている」ことの揶揄なんじゃないですかね。子どもっぽい。

自分の言いたいことを誰かに信じてもらうために、沢山の人がいるように錯覚させるのって、詐欺師っぽいですよね。学級会。



いや。
こんな文章を読んで真に受けるくらいだったら、まだ少年ジャンプ読んでた方がタメになりますよ。

断りを入れる



どうも、ハウリルです。


就職を考えなきゃなんですけど、既卒扱いだから転職サイトを探さなきゃですよねぇ…。
ホント、こういうのあんまり考えたくない…。
何故自分の興味の無いことに心を割かねばいけないのか…。みたいな思考の持ち主だから、本当にどうしようもないしどうでもいい。
ホント疲れる。頭疲れる。

県外に行きたいので、面接とかも電車やら新幹線やら乗らなきゃですよね。
時間次第では、日帰りも難しいでしょうし。
土日に面接ってのは、会社が休日出勤を命じている可能性が高まるのでなるべく避けたほうがいいとか。
そもそも営業職なんざやりたくないですし。ってか、人に興味の無いヤツが必死こいて周囲の人間にアピール必須な職業を選ばないっつー話ですし。

体力仕事が出来ないのは、まあ辛い話ですよね。もうちょい運動しておけばよかったかな、とは思わなくもないですけど、小学生の頃からずっとこうですし。いや、あの頃の体力をせめてキープできてたらまた違ったんでしょうけど。
ドライバーもちょっと御免被りたいですし。なるべく部屋の中に居たい。

なんで消去法で仕事って選べないんですかね。

あと、家っていうか部屋?住めるならなぁ。
贅沢を言えば二部屋欲しいですけど。リビングと寝室で。あとキッチンお風呂トイレ。
そういう部屋に住める程度には御給料欲しいです。


本当、一般的なサラリーマンってどんな仕事をしているの?
未来と一緒。想像が出来ないせいで何もつかめない。

あー、面倒臭い。


ではでは。

無題



どこかに行きたい、って

ここには居たくない、ってのと

同じ意味なんだと思う

突然の大時計



突然ですが、「大きな古時計」という歌をご存知でしょうか。

急に思い出したんですけど、よくよく考えると不思議な歌です。


とりあえず、おじいさんと古時計の関係をまずはおさらい。

この時計は、おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計です。
それからおじいさんが死ぬまで、休まずずっと動いていました。

要するに、生まれてから死ぬまでずっと一緒だったというわけですね。


……でも、よくよく考えてみると、おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計、ってことは、少なくともおじいさんが生まれる前には生産されていた、ってことですよね。
なんか、「百年休まずに」とか「百年いつも動いていた」とかいう言葉のせいで、おじいさんと百年間一緒だったみたいなイメージが浮かびますけど、時計の方がおじいさんより先に生まれてきてるんですよね。
っていうか、百年百年言ってますけど、おじいさんが死んだのが百歳の時とも言われて無いんですよね。それはあくまでも行間を読め、の類かもしれませんけども。でも、おじいさんが死んで一緒に時計が動かなくなるのか、と聞かれたら、そんな偶然も偶然甚だしいというか。いや、ありえないとは言いませんが。

っていうか、子供が生まれたお祝いに、おおきなのっぽの(まだ古くない)時計とか、買いますか?

あと、前何かの本で読んだんですが、おじいさんの時計と言うのはネジ巻き式らしく、おじいさんが時計のネジを巻くから時計はいつも動いていたそうです。
時計が動かなくなったのは、時計のネジを巻く人がいなくなったから、って、その本では考察してましたが。
いやー、子供のころから、毎日時計のネジを巻いてたんでしょうかね?
そうやって習慣づけられたのなら問題はありませんが、幼児期はネジを巻くことすら難しいでしょう?親がやっていたんでしょうか?


別に、歌の中ではおじいさんが死ぬのと同時に時計が止まった、みたいなことは言ってないんですよね。
こう、勝手な思い込みで騙されてる、ってこと、沢山ありますよね。
最近、特にそういうことが多くなってる気がします。

昨日のIQサプリ、前半は本当に脳の衰えを実感してヘコんでましたわ

こう、何方向にも目線を向けて、柔らかい頭で物事を考えて理解して行きたいですね。
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