私がやってた宗教は、カルト宗教とかじゃないですので(^^;;
岐阜県美濃加茂にある、革新宗教日本教と言う宗教です。
ざっくり言うと、父神事代主大神が降臨して指示され出来た宗教…となってます。(ざっくり過ぎですね)
漢字が、変換出来ないのでカタカナですみませんが、教祖?の事をホウジュ様と呼んでました。
その方は、亡くなりましたが神との間に出来たと言われている息子さんに、今は代わってます。
星子豊魂入彦之君と呼びます。
各地方毎に毎月一回、御本部(岐阜県上之保村に有ります)にて、式典があります。
年間行事なんて、有り過ぎて友達と遊べないです。
小学6年までは、星友会に所属して6年の後半辺りから、青年会に所属します。
50歳位からは、神おう会(変換無理でした)に所属します。
星友の頃は、夏休みになると親元から離れて、御本部で合宿します。
青年会の幹部が、数人付き添いで一緒に合宿をして、舞楽などを教えてくれます。
私が、いた頃はハードで厳しかったです。
舞楽は、楽しかったので問題無しでした。
舞楽は、日本舞踊に似ています。
だいたい、一週間程だったかと思います。
中学生になる、ちょと前辺りから女子は、女子青年会にも所属します。
舞楽も、男女混同と女子のみと覚えます。
女子舞楽は、大祭の際に振袖を着て踊るんですが、聞いた話しでは、青年会の独身幹部達がそこから嫁探しをするそうです。
気に入った女性がいたら、担当地区のコウカ神使(漢字忘れ)に頼めば、見合いをさせて貰えると言う事です。
お披露目?みたいな感じですね。
コウカ神使と言うのは、各地区に一人づつ居る、お坊さんみたいな立場の方です。
後、各地区にそれぞれの青年会やシンオウ会が有り、シンオウ会の代表みたいな方が、スイセイホウスイシ(漢字忘れ)と言い、一人づつ居ます。
うちの地区の、スイセイホウスイシが故祖父で、亡くなった後は私の母方の叔父(婿養子です)がなりました。
今は、代が代わったのか?わかりません。
生きているみたいなので、今現在もその立場かもしれませんが。
さてさて、ザッと大まかに説明しましたが、私がまだ星友だった頃はたいして疑いもしませんでした。
信者の事を、日本教では愛子と呼びます。
愛子と書いて(マナゴ)と読みます。
これは、当て字などじゃないですよ。
おかしいな?とか(あれ?)とか、思うようになったのが、祖父が亡くなって少し経過してからです。
それまでは、愛子さんに対して(変じゃない?)とか(何この人)とか、感じたり思ったりは有りました。
両親や兄妹や親戚に対しても、おかしんじゃない?とか、意地悪や無視なども有りました。
が、祖父が亡くなり代が代わり、日本教も豊魂君に代がかわってから、愛子さん同士の悪口やら不満やらが、酷くなってくのがわかり、お金のある愛子さんがカツカツで必死に働く愛子さんを、見下す様な言い方やバカにする態度やらが目立つ様になった気がします。
私は、口数が少ないタイプでしたから、周りが言わないだろうと、好き勝ってに文句やら陰口やら言ってるのを、よく聞いてました。
青年会の愛子さんに限らず、シンオウ会の愛子さんでもいましたね。
月一回の地区毎で行う感謝祭で、皆の前で偉そうに、話しをして御教えを説く幹部さんや所領主や奉すい師達も、陰では散々悪口やら不平不満やら愚痴やらを言ってる訳です。
それを聞いたり見たりした時は、ショックでしたよ。
因みに、高カ神使が御祈祷の袋を覗き舌打ちをしてるのを見てしまったり、うちの両親が呼び出され「もう少し金額をあげないと加護はしてもらえないですよ」だったかな、そう言われたと家で怒ってた事もありました。
大人の愛子さん同士の中でも、長い者に巻かれろ的な考えもあり、上の立場の愛子さんには何も言えなかったり、うちの父が少しそれはどうなのか?と意見した事があり、明らかに他の方々から無視されたり、雑用ばかり押し付けられたりしてました。
そんな中で、ふと「辞めたい」と思った訳です。
社会に出てみたら、ビックリでしたよ。
だって、こんなにも素敵な人が沢山居るんですからね。
社会人になるまでは、日本教の愛子さん達位しか大人に関しては、知りませんでしたから。
学校の先生や近所の大人とかは、別だと思ってましたもの。
社会人になり、愛子さん以外の方達と知り合い話す度に、楽しくて勉強になる事に気づいたんです。
日本教では、故祖父母以外に尊敬出来る人がいませんでしたから。