▼落乱(文仙)
「まだお前には未練があるのか」
「何、この世には未練しかあるまいよ」
乱暴に地に座った仙蔵は、事も無げにそう言った。その手が足元に咲く花をむしり、くるくると手の間を潜らせる。子供のように手遊びをするその姿に、未練だ未練だと言ったところでこの男には待つ人もおらぬだろうにと文次郎は息を吐く。
「お前こそ、可愛らしい嫁さんがいたじゃあないか」
「俺は忍だ、覚悟くらいはできているだろ」
「どうだかな」
進む道は別れていた。それでもこうして最後の最後に同じ道を辿るならば、この男が良いと思った。それはお互いに同じだろう。あの学園にいた時には、将来などどうなるかわからないと、自然と距離が離れていった。どうなるかわからない、その通りだ。こうなる未来が見えていたならば、選んだ選択肢はまた違っていたのだろうか。
「ずいぶんと落ち着いたものだな」
「今更だろ」
仙蔵の横にどかりと腰をおろし、刀を外す。彼の言う可愛らしい嫁から渡された御守りとやらをぽいと放った。結局あまり役には立たなかったそれだが、道連れにするのも忍びない。いいのか、といわれそう答えれば、それを聞いた仙蔵の口が軽く釣り上がる。忘れているのようだが、と続いた言葉に眉を寄せて続きを促せば、お前の刀にずっと巻いているそれはなんだと笑う。
「お前の髪紐だな」
「私の方がとんだ厄病神かもしれんぞ」
「…それこそ、今更だろ」
「今更か」
「今更だな」
おかしげに笑った仙蔵に、文次郎は満足げに目を閉じた。結局のところ、あの箱庭から出たところで、何にも変わってはいなかったのだ。
◇◆◇
会計、という言葉を聞いてから、仙蔵はなんとなく思い出したことがる。昔からそうだった。何かの拍子に知らない記憶を思い出す。それは何をしているとき、というくくりはない。何故それが起こるのかは仙蔵には分からなかった。病院へ行ったこともあったが危うく精神科送りにされそうになったこともあり、それ以降は何を思いだしても黙っていることにしていた。
それが酷くなったのはここ一ヶ月ほどだ。知らない男に背中をかばわれ、自分だけが生き残るという後味の悪い夢だった。何を思い出すにしても、今まで夢を見ることなどあまりなかった仙蔵には戸惑でしかなかった。夢の中ではその事に胸を張り裂けるような悲しみを味わうが、目が覚めてしまえばそんな感情はつゆほど残らず、ばかばかしいと思えど気にはかかる。
こちらです、という声に意識を戻せば、案内をしてくれたこの会社の社員であろう女性がにこやかに微笑んでいた。その中に雌の香をかぎつけ、仙蔵の眉間には無意識に皺が寄る。
「失礼、大川社の立花と申す者ですがー、」
部屋に足を踏み入れて、その足を前に進めるべきか戸惑う。それほどの惨状だった。しかし、これも、見たことがある。仙蔵の生きてきた記憶ではなく、そうだ、いつも自分を悩ませる、あの男の記憶で。
「ああ、申し訳ない。少し待っていただけると、」
出てきた男と目が合えば、今までの記憶の意味を知った。それは相手の男も同じなようで、目を見開いたまま固まっている。隈が酷い。相変わらずだな、と言いかけ、これは自分の記憶ではないだろうと口をつぐむ。しかし心の内からあふれる気持ちに、自分ではないと今まで考えていた男が嗤う。
ああ、やはりあれは私だったのかもしれない。
「相変わらず隈が酷いな、文次郎」
この男の人生としてもう一度生きるのも、悪くはないと思えた。
//生涯は3分だけでいい
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多分去年正月の年賀企画で送ったもの。
18/02/18 23:40