螺旋状に突っ走って死にたい(
プロフィール)
2016/2/13
Sat
16:31
世の中には10種類の人間がいる。二進法を理解している人間と理解していない人間だ。
話題:ひとりごと
タイトルみたいな感じの機知に富んだ言葉言ってみたいものです
俺は日頃から、人間の本質は孤独であると思っています
原則として、人間は自分の気持ちしかわからず、他者の気持ちを100%理解することはできません
経験則や想像力を活用して、相手の気持ちを推し量っているに過ぎないのです
それはそれで素晴らしいことなのです
気遣い、気配り、相手の思考を読み取ろうとして行動する
これは人間の美徳とも呼ばれる部分だと傲慢にも思わざるをえません
しかし、相手を100%理解することは無理です
相手の痛みを知ることも、相手の喜びを知ることも無理です
もしかしたら将来的にはそれが可能になるかも、しれないですけれど
そもそも同じ程度の刺激(痛みとかね)でも、その人間の耐性によって受けとる感覚は違うわけです
だから、無理なんですよ
痛みを分かち合うみたいなものはね
みんなわかってて、その言葉をお題目として掲げてるわけです
人間は孤独です
死ぬ時は一人です
たとえどんなに周りに人がいても、意識は一人のものであり、その意識が完全に消失してしまえば、その人間の世界は終わりなのです
人間は一人の世界を持ちその世界にいながらも、他人の世界を探り、できるだけ合わせようとしているわけです
様々な平行世界があって、少しずつ干渉しあっているようなものでしょうかね
これらのことが、人間関係に絶望する要因にもなるだろうし、かえって楽になることもあるんじゃないですかね
他人に期待するのがおかしいんです
だって他人なんです
やってくれたらラッキーってなもんです
他人に何かを求めてもしかたないんです
何かを与えられたらラッキーなんです
(もちろん自分なりのお返しはするべきです)
この俺の意見に対して、共感する、賛同するって人はあくまで、俺の意見をわかった気になっているということです(と、俺は理解しているだけであり、それがどうかはまたその他者に依拠するのですが)
否定する人もまた、俺の意見を自分なりの解釈したに過ぎないのです(上に同じ)
人間の自分の中の思いを内言、それを表出したものが外言である
とヴィゴツキーという人が定義しました
人間は外言を用いてコミュニケーションをとります
しかしながら、内言を完全に確実に外言と化すことは難しいです
少なくとも俺はそうです
今、ここに書いている文章だって、完全な内言ではないのです
それを読んだ他者が完全に理解するのは無理なのです
推測して理解した気にはなれるのです
みんな理解した気になって、微妙な齟齬は諦めつつコミュニケーションをとっているのです
自分の真の理解者は自分だけです(自分さえも理解できない側面もありますので、他者と相対的に比較してってことになります)
人間は孤独なんです
でも、それをただ受け入れていいんでしょうかね
足掻くのはおかしいですか、抗うのは間違ってますか
人間は思考して思考して思考して
言語を尽くして
ここまで文明を築いてきたのです
人間は孤独である
だから、それに従う
それも良いでしょう
でも、とりあえずは神様だか創造主だか、運命だか摂理だか知りませんが
それに逆らってみるのも楽しいと思いませんか
だから、俺はこうします
孤独ではなく、孤高であれ
高みにあれ
意識高い?
そんなことしか言えない奴は永遠に意識他界すればいいんです
俺の考えを少しでも理解したつもりになってもらえれば幸いです
コメント(
0)
[前へ]
[次へ]
[このブログを購読する]
このページのURL
[Topに戻る]