螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2014/7/3 Thu 07:24
生きるには短すぎて、死ぬには長すぎる


話題:ひとりごと

人間の本来の寿命は140歳だそうです

140歳までは生きることができる可能性は秘めているわけですから
あと10年もすれば平均寿命は上がっていることでしょう


前回の続きとして風俗の話をしようと思いましたが、閑話休題ってことでとりとめのない話をしようと思います


人間の老化は二十歳を境に始まります

脳細胞は死滅し、記銘力や頭の回転は鈍ります
外見も劣化します

何が言いたいか

何かやるなら10台のうちにやるべきということです
至極当然ですね

じゃあ二十歳過ぎたらどうするか

何かやるしかないですね

いくつになろうが変わりません


細胞が死のうがやるしかない

過去の栄光も未来の展望も現在の大切さに比べたら些細な問題です


俺は流行り言葉が好きではありません

正確に言えば、ネットスラングを含む流行り言葉を使い捨てる人間が嫌いです

勝ってに生み出して、気ままに使って、飽きたら捨てる

あなた、それ自分の子どもにできますか?

言葉には責任が生じるんです
だから、言葉を選ばなければならない

覚悟を持たなければならない

安易に意味も考えず、ただ流行り言葉だからと多用する人間は自分が思慮の浅い人間だと自己紹介していると気づいた方がいいのです

なんて感じで、説教モード入ってますが、流行り言葉そのものが嫌いなわけではないのです
生まれた背景を調べたり、考察することは楽しいですし、流行るのも納得できるほど汎用性が高く、的確な表現もあります


今だに使う人がいるかはわかりませんが、「今でしょ!」って言葉は良い言葉です

予備校講師が放った言葉なのがまた良い


今しかないんですよ

日本のシステム的にも、頭の働き的にも
あの時期、受験期に勉強していたかどうかで、その人間の知的水準がほとんど決まると言っていい

二十歳すぎてから勉強をしても、もちろん構いません
というより、人生は細やかな勉強の積み重ねです

しかし、あの時期の方が吸収率が高いのです

いるかどうかはわかりませんが、もし受験期の人がいたら、今すぐに勉強してください
学歴が全てではありません
良い大学いくためにだけ勉強するのはダメですよ

脳細胞がピークの時期に刺激を与えるつもりで勉強すればいいのです

勉強の内容が直接役に立つことは少ないです
でも勉強をしたという事実は必ず自身を救います


二十歳を過ぎた人も勉強しましょう
別に参考書開けなんていいませんよ


二十歳過ぎたら、自分で考えることが要求されます
教科書や参考書みたいや指標はありません
自分で勉強とは何かをまず考えなければなりません

勉強は他人から強要されるものではありません

だから、やるもやらないも自由です


勉強が人生を豊かにすると一概には言えません

苦痛を感じながらやっても無意味です
ならば、楽しいことだけやった方が、豊かな人生おくれますから

それでも、漠然とでも勉強ということについて考えてみたり
考えることについて考えてみたり

とりあえず信じていた常識や概念をちょっと疑ってみたり

思考するということ、それに準じたことに興味関心を持つキッカケになれたらいいな、なんて考えるんですよね

くだらないことや下ネタ、書いてますけど、そこからも何かしら読み取れるものもあるんじゃないですかね


と、いう風に自らを正当化して、次は風俗騒乱期の話をします




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