芭蕉さんにはツイッターやってみてほしいものです。
ここで昔話を一つ。
あたしは高校1年時代、駅から川沿いをひたすら辿る通学路だったのです。
川原のベンチで毎日アコーディオンを弾く老婦人がいました。
毎日通り過ぎるだけでしたが、その日はとても気分がよかったものですから、あたしは気まぐれにチャリをとめ、ご婦人に話し掛けたのです。
アコーディオンを弾いている理由ですか?
そうですね、若い頃にパブで一度だけ観たアコーディオンのステージが忘れられなくて、定年後に始めようと思っていました。
しかし、旦那が要介護になりそんなことも忘れて介護の日々。
我を忘れそうにもなりながら介護に明け暮れましたが、その甲斐も空しく旦那は他界、気付けば80も手前。ただひたすら家に籠もる日々になってしまいました。
すると、これを見ていた息子が、私の誕生日にアコーディオンを贈ってくださいました。
今更これを手にしても、何が変わるものか、私にもう何もないと言うのに。
そう思いつつも、いただいたからには触れなくては。一度弾いてみたら、申し訳ないけれど埃をかぶせよう。私はしかたなしにそれを鳴らしたのです。
するとこれが不思議な話でした。アコーディオンから出た音はとても美しいとは言えないようなみすぼらしい音だったのですが、とたんにあの光景が浮かんできたのです。
彼とは何度目かのデートの日でした。私の父は厳しく、男性との交際も認められず、夕食を外で済ますことも禁じられていました。しかし、どうしても彼ともっと話していたく思い、生まれて初めて言い付けを破り彼と夜を歩いたのです。
彼に手を引かれ腰をおろしたのは、とあるパブでした。そこは様々な人や話し声、音で溢れていました。冷えていく指先と熱くなる頬が、私を徐々に夢のような時間へと誘いました。
しばらくすると、彼が不自然に口を止めほほ笑みました。不思議に思うと店内の奥にあるステージで、演奏が始まりました。少しもの悲し気なアコーディオンの音色が響き、溢れていた話し声はとたんに消えていきました。
私は圧倒されていたのかもしれません。あるいは、時が止まっていたのかもしれません。気付くと、青筋を立てた父の説教を浴びていたのですから。
しかし、あの時のアコーディオンの音色は鮮明に頭の中で流れ続け、彼の少し緩んだ横顔もまた、頭の中に焼き付いていたのです。
私は、なんとも形容し難い喜びに震えあがり、その日からアコーディオンを触らない日はありません。さらに言えば、それ以外なくしたかのようにアコーディオンを引き続ける日々に変わったのです。
この場所で弾いている理由ですか?
それはですね、始めは家で弾いていたのです。しかし、隣の家の方が夜勤をしている方ですので、起こしてしまわないか気がかりなのです。ご近所にもアコーディオンの音は響いていたそうなので、まだまだ拙い演奏ということもあり、もし迷惑になっていたらと思うと気が気でなかったのです。何も心配なく演奏出来るのがこの川原だったのです。それだけなんですよ。
この場所に座っていると、鯉の水音や風の音が心地よいものですから、アコーディオンを弾く手もさわさわと流れている気がして、それもたいへんに楽しいのです。
よかったら、お嬢さん一曲聞いてくださいませんか。私の一番得意な曲があるのです。
(続く)