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中島みゆきさん好きのあやっちの部屋です
母は働きながらわたしを育ててくれました。
保育園に通っていたわたしは、案外やんちゃだったかもしれません。
でも結構頭の中ではませたことを考えていました。(今思うと、そう感じます)
わたしの名前の由来は綾織物。
あの変化に富んだ色鮮やかで美しい織物のように、平坦で面白みのない人生ではなくたくさん経験して人生を楽しんで欲しいっていう願いだそうで。
…まあ、そんなことは本当に大人になるまで知らなかったんですけどね…
教えるのが遅いですよね。(笑)
でも名前はとても気に入っていました。
自分で自分を呼ぶときは『あ〜ちゃん』でした。
産まれてくるとき、中々産まれなくて、産まれても産声は上げなかったんだそうです。
バシバシ先生にたたかれて…やっと泣いたんだそうです。
歩き始めも、オムツをとるのも、とても早くて周りはびっくりしたんだとか。看護師の母、強し。
『小さくて体重も軽かったわたしだったので、動きやすかったんじゃないか』と…。
運動神経の発達はどうやらそこまでだったようですが。(笑)
小さく生まれて、保育園に通うようになってもやっぱりとっても小さいわたしでした。
保育園の先生にはなんだか猫っかわいがりされてたようです。
大好きな先生もいました。名前もいまだに覚えています。
お嫁さんになるんだと宣言していた(らしい)男の子もいました。
幼児ならやらかしてしまいがちな失敗をしてしまったときでも、その年齢には似合わずめちゃくちゃ頭の中が冷静な子どもだったですね。
音楽に力を入れていた保育園でもあったので、発表会は定期的にありました。
そのときにいつも着る制服が結構好きだった記憶があります。
親戚のおばさんにブランコを思い切り漕がされて泣いた記憶も、遊びに行った先の公園でのカマキリ事件も…結構覚えているものですね。
北海道の雪祭りで滑り台を滑った記憶は…あれはいくつのときだったでしょうか。
実家の家の建て替えをしたのは、小学校に上がってすぐだったかな。
思いつくままに、記憶をたどってわたしの幼児期をつづってみました。
夜会の記録をします。
いよいよ夜会ですな。