※謎時空、ムーンセルが観測したかもしれない、1つのIF。
※支部より転載
※ザビ男紅茶









間抜けにも程がある。
脳内をガンガンと揺する警告音にも気付かずに、よくもまぁここまで歩いてきたものだ!
噛み締めた奥歯が嫌な音を立て砕けたが、知った事ではない。
レーザーに区切られた向こう側で微笑んでいるのは誰だ。
黒いノイズに侵食され、それでも笑っているのは、誰だ。


アーチャー、何してるんだ、なぁ、早く来ないと、消えてしまう


間に合ったってなんなんだよ、どうして側に来ないんだ。
サーヴァントはマスターの隣に立つものだろう、嫌だ、止めてくれ、いらない、優しい目なんか要らない、から。

ああ、そうだ、
彼はいつだって『表側へ帰す』と口にするばかりで、『一緒に帰る』とは、言ってくれなかった。
ただ誤魔化すように笑うだけで、一度だって。

違う、違う違う違う違う違うちがうんだ望んだのは求めたのは祈ったのは願ったのは欲しかったのは掴みたかったのはこんな結末じゃない。
ああ全く酷い顔をしていると自分でも理解している。
浅ましくも、間違った、と、思ってしまったのだから。
桜を、BBを助けた事を後悔をしているわけではない。
でも、だけれど、自分は確かに何かを間違えてしまったのだ。
黄金の礼装を蝕んで行くノイズがぼやけて歪む。
嫌だ、嫌だ、いや、だ、いやだ、止まれ、止まってくれ、アーチャーの姿が崩れてしまう、あの背中が、手が、身体が、心が、消える、誰よりも大切な、尊い彼が消えてしまう。
喉がひきつり、声が出ない。
アーチャーが傍に居てくれたから、歩くことが出来たのだ。
一人なら、きっと何処かで立ち上がれなくなっていた。


取り残された闇で一人踞る。


帰れない。
帰ることが、出来ない。
押された背中は燃えるような熱を帯びているのに、少しも足が動かないのだ。
どこへ帰ったって、其処にアーチャーは居ないのに、あの皮肉屋なサーヴァントは、何処にも居ないのに、一体どこへ帰ればいいのだろうか。
おかえりも、ただいまも言えないのに。


ぼろぼろと涙が落ちた。
桜には謝らなければいけない。
岸波白野には、好きな人が居る。
一緒にいなければアイデンティティークライシスを引き起こしてしまうほどに、大切な人が居る。
おかえりと、言いたい人が居る。
ただいまと、言いたい人が居る。
諦めることが出来ない人が居る。
置いていくことが出来ない人が居る。


濡れた目元を拭い、前を見据えた。
膝に力を入れ、歩き出す。
この結末は間違っている。
少なくとも、今の自分にとっては。
だったら、探しに行くしかないじゃないか。

光を放つ扉の前に、長い髪の少女を見つけた。
こちらの顔を見るなり寂しげな色を浮かべた彼女に、自分は………













マスター、と呼ぶ声に揺り起こされて目が覚めた。
亡くした夢を……見ていたようだ。


「全く…一体どんな夢を見たのかね」


褐色の武骨な指が目尻をかする。
硬い指先が僅かに濡れているのは、自分が流した涙のせいだろう。
怖い夢を見た。
ああ、あれは、本当に、

嫌な夢だった。


…アーチャー、一緒に帰るって約束してくれ。
じゃなきゃ俺は、もう働けない。

「マスター、それは」


困ったようなアーチャーに、ぶつりと何かが切れた。
俗に言う堪忍袋の緒かもしれない。
無害系と名高い岸波白野にそんなものがあったとは驚きだが、自分もまた人間だったと言うことだろう。
沸騰する頭を余所に冷静な腕がアーチャーをベッドへ押し倒す。
憮然とした鋼鉄色の瞳に写る自分の顔は、滑稽なぐらい途方に暮れていた。


約束してくれ、一緒に戻るって。あのマイルームに、二人で帰るって。

「…出来ないんだ、マスター。表へ戻れるのはマスターだけ、月の裏側へ落ちたサーヴァントは、ここから出ることは叶わない。解ってくれ」

何を、わかれって、言うんだ。

「マスター…我が儘を言わないでくれ。私はサーヴァントで、英霊だ。いつかおまえとは別れなければならない。それが早くなるか、遅くなるか、それだけの話だ」

何と言われようと譲れない。アーチャーが好きだから、アーチャーを諦める事だけはしたくない。


聞き分けのない子供を宥める様に、アーチャーの掌が頬をなぞる。
硬い手だ、弓を握る、剣を握る、戦う男の、護る男の手だ。

その手が、心底いとおしいと思った。

だから、足掻く理由はそれで充分だ。

かさついたアーチャーの唇に、そっと自分の唇を重ねた。
あれが夢でも現実でもどちらでも構わない。
今度こそ、大切なものを護るだけだ。


「っそれは、子が親に抱くような愛情だ。雛鳥が親鳥に感じる感情だ。おまえにはオレしか居なかった、オレ達は二人きりだったから、勘違いしてしまったに過ぎない」

…いいや、勘違いなんかじゃない。


ノイズまみれの身体が喪われたあのときの、焼けつくような焦燥感を自分は覚えている。
手離してしまったと理解するしかなかった絶望は、魂にまで刻まれている。
この感情は嘘じゃない。
高々十数年しか生きていない、アーチャーから見れば赤ん坊と同じようなものだろうけれど、それでもきっと、この想いは最早勘違いでは済ませられないのだ。

目元をうっすらと赤くしながら尚も滔々とこちらを諭すアーチャーへ再びキスを落とせば、静寂なマイルームに思いの外リップ音が響いた。
一人の人間としてアーチャーを愛していると告げ、鋼鉄色の瞳へ視線を絡める。


アーチャー以外のサーヴァントは要らない。欲しくもない。俺は諦めないからな、アーチャー。必ず、お前と二人で聖杯戦争へ戻ってやる。お前が居ない表に、帰る場所なんてない。第一、サーヴァント無しでどうしろって言うんだ。ムーンセルにバレたら消されてしまうじゃないか。二人で帰る方法をきっと見付け出してみせるから、一緒に帰ろう、無銘。


ぽぽぽぽぽ、と。
アーチャーの浅黒い肌が目に見えて首筋まで赤く染まった。
酸素を求める魚のようにはくはくと口を開き、終には顔を両手で覆ってしまったアーチャーの白髪へ軽く口付け、体を起こす。
腫れているだろう瞼を冷やすためにマイルームの扉に向かう自分の背中に、アーチャーが小さく『ずるいぞ白野』と声を掛けた。


子供は得てしてズルいものです。知らなかったのか?

「…こんなときだけ子供ぶるんじゃない」


全く、オレのマスターは、本当に…
柔らかな声音でそう零したアーチャーに目を細め、自分はその場を後にした。







Cry for the moon
(月が欲しいと泣く子供)


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