花台を作ったよ

今日はホムセンにて夫と室内用の花台をDIYしました
私はパワータイプなので玄米保管庫(パーツが重くてデカいしネジ締めがめちゃくちゃ堅い)は一人で組み立てられても細くて小さい釘や割れちゃう木材の扱いは苦手
材料切るのは器用な夫にやってもらって私は補助のみ、ビスや釘打ちは教えて貰いながら頑張った
初めてちゃんとインパクト使ったよ
やっぱ不恰好なところも出ちゃったけど自分たちで作ったものは可愛いね
作業場で写真撮ってくればよかったな
先週も行ったご飯やさんで今度は天丼を頼みました
自分で揚げずに天ぷらを食べられる喜びを噛み締めた
ガチャガチャも見に行ったけどホゲータちゃん入りの肩ズンは今日も見付けられなかった、どこにあるの…
あと昨夜にアップしたユダヤ人の歩みを勉強してみた記事とカテゴリーのアクセスが思いの外あって嬉しかったです
これです

mblg.tv

こんな長いの誰が読むのよと思ったし頑張った記事程読まれないのはブログの常なので
ありがとうございました
ここはちょっと違うよというところがありましたらミニメ頂けると幸いです

アクティブゾンビ怖すぎ

ダイイングライトやってますけど怖いながらも頑張ってミッションに行ったら「手遅れでした」とか上の命令で自分の正義を曲げたりとかの骨折り損が多くて心が折れそう
あと夜出てくる強いやつに見付からないよう高所でしゃがんでルート探ってたら何もかもを破壊して真っ直ぐ襲ってきて死んだ
夫から「こんなゾンビ出ました」の報告受けるたび生き残れる訳ねえやと思う
ただDLCの弓矢だけは好き、こんなんゼルダじゃんねと良くない薬を売ってる人間をヘッドショットしました
矢を作るにも素材が要りますが拾って再利用できるのも良い
あと唯一ピッキングは上手くなってもう只の犯罪者の動きです

マシュー・ペリー

海外ドラマ「フレンズ」で有名なマシュー・ペリーが亡くなってしまった
「隣のヒットマン」も観たよ
高校からの友人はマシュー・ペリー演じるチャンドラーが好きで、私はマット・ルブランク演じるジョーイが好きだった
確かにマシュー・ペリーも笑顔が素敵だと大人になってから思う
同じようにして昔はレイチェル(ジェニファー・アニストン)が憧れの美女って感じだったけど最近になってモニカ(コートニー・コックス)ってとんでもない美人だなと気付く
フィービー(リサ・クドロー)は昔も今もチャーミングだ、ロス(デヴィット・シュワイマー)についてはずっと印象が薄いがこれも何年か後には変わるだろう
フレンズ、家族とも良く観たよ
大好きだったんだ

双一くんのように釘を舐める

昨夜の晩御飯は麻婆丼と春雨スープでした
最近近場で長ネギ売ってない、幻の食材と化してるので麻婆はキャベツとニラで
春雨スープはいつもの感じ、人参とわかめ、卵に鶏ガラ醤油スープ胡麻油垂らし
ここ一週間夫が鉄分入りの飲み物を毎日くれて助かった
サプリは飲んでるものの時々それじゃだめになる、来月からはSAVAS再開してみる
病院の鉄剤飲んだ事もあるけどこの世の物体の中でも飛び抜けてマズい粉だったからなるべくお世話になりたくないな、今は飲みやすいやつもあるのかな

個人的に調べたユダヤの人々の歩み(長文です)

かつてユーフラテス川上流の地域に遊牧生活をしていたヘブライ人=イスラエル人は、紀元前18世紀頃当時カナーンと呼ばれた現パレスチナ地方に移住
飢饉から一部はエジプトへと渡ったが、新王国からの虐待を受け紀元前13世紀にモーセに率いられ出エジプト、40年間のシナイ砂漠での流浪を経てカナーンへと再び合流
紀元前11世紀の末に王政へ
サウルを初代王とし、ヘブライ王国=イスラエル王国となる
サウルに仕えたダビデは、紀元前13世紀よりエーゲ海から入植していた戦士ゴリアテ擁するペリシテ人を討ちイスラエル全土の国王となり、エルサレムを首都とする
その息子ソロモンはユーフラテス川からガザにまで領地を広げ、エルサレムに第一神殿を築くが自身の出自であるユダを贔屓、一方で他宗教を黙認した事から国内に軋轢が生まれ、彼の死語王国は北のイスラエル、南のユダに割れた
イスラエル王国は前722年にアッシリアに下され10部族の追放
ユダ王国もアッシリアに臣従、アッシリア滅亡後は独立を果たすも、前586年に新バビロニアに征服され神殿は破壊、ユダ王国民はバビロンに強制移住させられた(バビロンの捕囚)
前538年アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを討ち移住させられた民はエルサレムに帰還
自治は認められずとも、神殿の再建に至る
前332年アレクサンドロス大王率いるギリシアの支配を受ける
アレクサンドロス死後彼の帝国は分裂、後継者(ディアドコイ)間の戦争が始まる
パレスチナ地方もセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの紛争の地となった
セレウコス朝の支配下でユダヤ教は迫害され神殿は破壊、ゼウス神の神殿が建設される等の屈辱から祭司マタティアがその子ら(ヨハネ、シモン、ユダ、エレアザル、ヨナタン)と共に蜂起
前165年エルサレムを奪還しハスモン朝下でほぼ独立を成した
前103年アレクサンドロス・ヤンナイオスが即位
ヘレニズム(ギリシア主義)への傾倒や祭司たちからなるサドカイ派との癒着から、厳格なユダヤ教徒を自負するファリサイ派と内戦
またプトレマイオス朝エジプトとの戦争の後ガザを破壊、再び占領下に置きソロモン王以来の領地拡大を成す
前76年死去、ファリサイ派に権力を認める遺書を残し妻であるサロメ・アレクサンドラが女王に、長男のヒルカノス2世が大祭司となる
これを苦々しく思う次男アリストブロス2世は反ファリサイ派と手を組み支配権を争う
前67年、疲弊の内にアレクサンドラが死去
その頃諸外国からの干渉により脱け殻化していたセレウコス朝シリアにローマ帝国ポンペイウス軍司令官が遠征し、ユダヤの内紛にも介入
前63年にはエルサレムを占領した
前37年ローマ帝国ヘロデ大王がイスラエルを支配し、ハスモン朝は滅びた
ヘロデの父アンティパトロスはヒルカノス2世の側近であったが、ローマ帝国の軍行を援助していた事からユリウス・カエサルにユダヤのプロクラトル(行政官的な意)を任命されるに至る
これはヘロデが親ローマ派として元老院より「ユダヤの王」と宣言されるまでの礎となった
彼ら父子はハスモン朝下で強制的にユダヤに改宗させられた元イドマヤ人であった
前20年〜19年、神殿の改築に着工
基礎工事等も含まれていた為完成はヘロデ死後の西暦62〜64年頃であった
また小アジア等に点在するユダヤ人の為の公共施設も築きギリシア系の人々はこれらに称賛を寄せるも、ヘレニズムを危惧したユダヤ系の人々には反感を持つ者も多く出た
ハスモン家出身の妻を始め疑わしき者はみな処刑する事、飢饉の際には私財を擲つ事などで治世を保ったが死後ユダヤの地を受け継いだ息子のアルケラオスは失政を重ね西暦6年頃に解任の上追放される
ユダヤはローマ帝国の直轄領となった
西暦66年〜74年第1次ユダヤ戦争、131年〜135年第2次ユダヤ戦争にあたるバル・コクバの乱を経ても長い独立が叶うことは無くエルサレムは破壊され、新たな市街地には立ち入りを禁じられた事からユダヤ人は地中海の各地へ離散(ディアスポラ)していった
先のヘロデ大王の死去は前4年であるが、それ以前の前6年〜4年にナザレのイエスが誕生したとされる
従来のユダヤ教に反する教えを説いた事、また一度は信望したもののローマ支配からの救い主では無かったという落胆からユダヤの人々はローマ帝国にイエスの処刑を望み、彼が率いる内乱を危惧した事などから帝国もそれを承諾した
やがてそれがキリスト教が広まるにつれてユダヤの人々がイエスを処刑した者たちと目される原因となってしまう
ディアスポラした先の地で自由に職に就く事も難しくなり、キリスト教では賤業とされた金融業に従事する事となるが、それが結果的にユダヤの人々に富をもたらす
第一次世界大戦によりパレスチナの地はオスマン帝国からイギリスの支配に下った
当時のパレスチナには多数のアラブ人、少数のユダヤ人、更に少数の民族が複数暮らしていた
ユダヤ資本に目を付けたイギリスは「協力してくれたらパレスチナにユダヤ国家の建設を支持しますよ」との書簡を送る(バルフォア宣言)
その一方でイギリスはオスマン帝国からの独立を目指すアラブ民族主義をも利用すべく「独立を支持しますよ」と協力を仰ぐ書簡を送った(フセイン・マクマホン協定)
更には同盟国であるフランスと「終結したらオスマン帝国領山分けしよ」と秘密裏の条約を結んだ(サイクス・ピコ協定)
これが所謂三枚舌外交であり、現在も燃え続けるパレスチナ問題の火種となっている
エルサレム(別名シオンの丘)に帰ろうというユダヤ人悲願のシオニズムは1948年のイスラエル建国により果たされた
しかしそれによって元よりその地に暮らした人々は故郷を追われ、一括りにパレスチナと呼ばれた土地の内イスラエルを除くガザ地区とヨルダン川西岸にて、国を持たぬままイスラエルの占領下に置かれている
非常に雑であるし理解しきれていない部分も多いがこれがユダヤ人を軸として調べたパレスチナ問題の個人的なまとめです
何がなんでももう故郷を失いたくないという気持ちを少しでも理解してみたかった
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