『愛』を上手く描けない青二才
06/08..


どうも、またお久し振り。

何と言うことでしょう、また書くようにしようかなー。なんてこと言ってたらあっという間の3ヶ月が経過しているよ。月日を改めると毎度のことながら恐怖を感じる、穏やかに過ごす時も澱みに過ごした時も3ヶ月経つ頃には喉元すらも通り過ぎてあれが何から生まれた感情で出来事だったのか忘れてしまう。あれは確か甘くて苦かった筈なのに。
まあ、書くようにとは言ったものの『気が向いたら』が大前提なので、と言うことは気が向かなかったんだなってことがよくわかりますね。

Q.それは言い訳ですか? A.は?

とは言え、いざ、じゃあ3ヶ月の間何をされていたんですか?と言われると、何もしていない。ですね。本当に、何も。“多分人としての最低限の生活”以外は特に、何も。
例の新型ウイルスが我が物顔で世界中で滞在してることもあって、と言うのも勿論あるにはあるけど、それでも元々どこかへ足を運ぶことを滅多にしない根腐れ女の自分にはそれが一番の理由ではなく、なのにこんな性分な自分にも今は割りと窮屈で生きづらい。いや、元からここは窮屈で生きづらかったか。
窮屈で生きづらいのに広大とした世界が狭小な私にはあまりに軽々しく華々で、あまりに重く圧し掛かる。何もいらないから容易に手放すのに何も残らないことが怖くて手放したものから掻き集めようと表面上だけ必死な姿を繕って、でも全然恥は曝してなんかいなくって、端から見る人がいたとしたら滑稽にも果敢なげにも映るのかもしれない。
掻き集めた手は爪が割れてとても可哀想に見えるけど、その爪が割れやすいようにわざと伸ばしたままだったとしたらそれでもこの手は痛々しげに映るんだろうか。わざとそう仕向けた癖に被害者面か、と張り上げられた蛮声に密かに作った拳の中で爪が食い込み血が滲んでいたとして誰の目にも留まらなければそれは傷痕にはならないんだろうか。

うーん、どこかの何かの漫画だったか小説だったかはたまたドラマか映画だったか『これから何を恨み生きていけばいい』的なことを嘆く台詞がふと脳裏に過ったんだけど、それの正体が何だったのか曖昧ながら検索してもどこにもそれらしいものは見付からなかった。あれは確かに嘆きの声で心に染みた筈だったのに、いつの間にか染み抜きされていたのか空っぽにしてしまったのか上書き保存されたのか。るろ剣の青紫殿でもハガレンでもなかったような気がするんだが。はてさて、はてな。

曲としましてはMUCCの嘘で歪む心臓が流れてきましたね、何かに関連付けられて懐かしいものがぐわっと記憶の片隅から這い上がってくるのは楽しいです。懐かしー!ってなって。
MUCCの曲を思い出すとcali≠gariを思い出す、cali≠gariを思い出すと虜ローラーが流れてくる。一字一句間違えないように聴いていたな、と懐かしむとシドを思い出す。

派手髪もやったし片耳ピアスマンみたいなこともやりましたね、ピアスじゃらじゃらで派手髪してるとガゼットかディル好きな女に見られて仲間!と思った人に声掛けられてあからさまにテンション下がっちゃった様を見て内心申し訳ない半分そんな勝手な、半分。田舎も田舎だったけどたまーに『あ、同じ派手髪さんだー。』って人を見掛けて綺麗に色入ってるの見て素敵だなー。って思ったり、逆に相手の方が明らかにこっちをチラチラ見ながらきゃっきゃっしててそれがちょっと照れ臭くて恥ずかしかったり。そんなこともあったな、ってことがぐわーっと!ぐわーっと!きましたよ!

今もそこそこ楽しいけどあの頃もそこそこ楽しんでいた、あの頃に派手髪だとかパンク服だとか楽しめたのはよかったし未だに派手な髪色好きだし黒髪も好き。長髪も好きで短髪も好き。
シンプルな服装が好きでスチームパンク服も好き。角隠し好きだしペストマスクやベネチアンマスクも好き。ピアスも好きだし入れ墨も好き。我ながら振り幅が極端だと思うし似たり寄ったりなのかもしれないけど好きなものは割りと多くあっても手を出していないものが殆どだ。いつまでも見てる側だとしても密かに楽しめてればいいな、と思う。

小学生くらいの時、そういえば勾玉好きだったな。と言うことも思い出した。それの延長でなのか否か陰陽勾玉巴って紋が好きだった。
好きなものは割りと多くあるのにそれを生き甲斐として人生を謳歌するようには自分は出来てない。何故か。



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