鑑賞記、と言う事で。
現代美術館に入ったのは初、てのは前に書きましたが
現代アートは全然興味無いんですよ(笑)
まぁ空間として面白いなと思うけど。
見に行く程じゃないってか。
それが電車乗り違えてまで(笑)行ったのが『蔡國強展』です。
…いまだにどう読んでいいのかよく分かってませんが。
最近ローカルニュースで頻繁にやってました。
ヒロシマ賞受賞記念、てことで。
私が知ったのはもーちょい前で、雑誌の立ち読みだったか何だったか、
イメージは『火薬で水墨画を描く人』…いや表現オカシイけど。
てな訳で『どーやって?』という好奇心含め、足を運んだ次第。
現代アート初体験で一言。
よっぽど分かりやすいな、と。
一概には言えませんが絵画よりよっぽど解りやすい気がします。
理解しよう、という事に関して言えば。
まぁ当然なのかもですが、
現代アート、殊に蔡さんの芸術はベクトルがハッキリしてて、それを率直に表現してるなという印象を受けました。
恐らくその姿勢がヒロシマ賞という趣旨のハッキリした(そしてとても有意義な)賞に繋がったのかもね。
と、イチ鑑賞者は思いましたとさ。
それが良い悪いと言うのでなく、私個人的には難解で捉え処の無いアートより好きです。
ああ、絵画より、と書きましたが、絵画の根底にあるのが『美』だから難解になるんじゃないかしらという意味で。
美、ってのは答無くベクトル無く意味無く、まぁ哲学みたいなモノじゃないですか。
そしたら絵画を理解しようって滅茶苦茶難しいと思うよ。
ま、粋じゃないよね。絵を理解しようとする事は。
岡本太郎がそゆ事言ってた気がするけど。
そこにあるだけ。それでいい。
それを含めて第3室にある大作『無人の自然』です。
これが見たくて行ったのさ。
全長45メートルの、火薬で描かれた山水。
通路を挟んで、展示室いっぱいに張られた水。
水に山水が映るようになってるんですが。
展示室に入る入口、その枠から見た時に、その空間を理解するのに時間が要りました。
ただ、理解より前に美しさが勝るんですよね。
ワケ分からんが綺麗だ、と。
実際の絵と水面に映る絵の境目、と言うか
どちらが実でどちらが虚なのか分からない。
扉大の枠から見た時に、現に見えない美がありました。
勿論室内に入っても綺麗なんですよ。
ただ、室内に入った瞬間それは全てを超越した『美』から、作者の意図がある『アート』に変わった気がします。
つまり『美』とは人の思いがけぬ所に存在するのだなぁ、と。
まぁそろそろ部屋に入りましょうか。
水面に静かな波が立ち、水の色を含んだ山水画はとても綺麗です。見飽きません。
そこへ絵の前にある通路を歩く鑑賞者が入ってくる。
つまり『無人の自然』に人が居る。
意味深ですよね(笑)
もう考え疲れたので私のつまらない解釈はナシにします。
ただ、その光景が一つの絵画となるのだなー、と。
一瞬一瞬に表情を変える絵。
芸術アートとは、その時間のその空間のみに存在する芸術なんだなーという事を知りました。
でも考えてみれば芸術って音楽や演劇もそういう性質を持つ訳だし、一期一会というのは決して特殊な事ではないんですよね。
そしたら絵画の方が特殊に見えてくる。
不変、という事に対して。
…とすると、あの山水画は不変と移ろう物を兼ね備えた
そーゆー意味だったのか。
…解釈せんと言いながらやってしまった…
あ、常設展も面白かったですよ。
うん、単純に面白かった。
画像にあるパンフレットを貰うんですが、
しばらく私はそれが展覧会名と気付かなかった。
ただ一人で行ったのは大失敗でした。
複数人でワイワイ見る事をオススメします。
普段、美術館でイラつく子供の声が許せる展覧会です(笑)
許せると言うか、子供いて良かったーみたいな。
たまたま同時に見てる親子連れがいて、展示場をちょこまかしてたんですが。
それが許せる、寛大になれる展覧会です。
美術館出た後、モニュメントの前で撮影してる某アニメのレイヤーさん一行に出くわしましたが、それすら許せてしまった(笑)
テーマは『寛大』芸術美術紀行ですた。
てか、あの格好で街中ウロウロしてイイんスか?