太れる幸せ

年末年始

二転三転して
結局僕は実家へ帰った。

実家で年越し。


榊は家で一人で年越し。(生い立ち複雑マン)
こういう時、申し訳ないと思う。
寂しい思いをさせていると思う。

帰る場所がない。
そしてそれを実感させられる
冬の夜。


最初の6〜7年くらいは
ペースが掴めず、モヤモヤしたり、気を使いすぎたりした。
目の前の家族とのバランスもうまく取れなかった。

帰省中の様々な行動パターンも掴め、
家族のクセが、僕自身も、榊も掴めてからは、うまくやれてる方だと思う。
家族も、鮎はそういうパターンの人、と慣れてくれたのかもしれない。



僕が実家に帰るか帰らないかで
母は料理への熱意が変わるらしい。

頑張らなくていいのに、と思うのだけど
そういうことでもないらしく。


帰ってこないって言うから、今年は箱根まで蒲鉾買いには行かないつもりよ、とか
帰ってこないなら
あの日とこの日は冷食のアレとコレでいいかな、と思ってるの、とか


榊と暮らしてからだと思うけど

僕が料理を味わうから(美味しい!とか、これどういう味付け?とか)
作り甲斐があるらしい。

昔は
作る母も
食べたり持たせてもらう僕も
「親/子だから、そういうもん」
程度の距離だったと思うんだけど

今はコミュニケーション。


作ったから食べて。
うん、いつもスミマセン。ありがとう。おいしかったよ。



回を追うごとに、帰省中の僕は太るようになった(笑)
当然か。

でも体重は測らないことにしているし
気にしないことにしてる

だってこの味を味わえるのは、今この時限り。
そしていつか終わりが来るのだ。

母の楽しみになっているなら、それでいい。それがいい。



帰省を終えて
帰るよ、と榊に連絡すると

榊がいないとご飯作る気が起きない
作る気が起きないから
あんまり食べてない
痩せるかも

と、今度はこっちがのたまう。
過食と拒食を繰り返してる模様
(といっても病的なものではなく、ダラダラや暴食。それからの反動?)


榊は(も?)本当に極端な食生活だったり、偏食だったしね。

標準〜やや細め?くらいの体型だったけれど
精神の張り詰めが、ぱっと見でわかるくらいの、独特な締まりかただった。


そんな榊が、継続的に安定した食事をとれていることは
一方で凄いことなのかもしれない。

こういう長期休みで、留守中に、調子狂ってることを自覚できるくらいなのだから。



僕がそれだけ安定剤になれていた(完了形)のなら、何より。

親の代わりにはどうしたってなってあげられないけれど
家族にはなれる。

そこにある安心感や刺激(たまにストレスも含まれてしまうけれど)は、与えられる。