SHU GhA Ri

榊と距離を置かねばならない。


榊も
大分自我というものが
出来て
表に出して
一人で貫けるようになった

なってしまった。



僕は

「できない」榊とともに
舐め合い馴れ合いながら
ジメジメと歩くことを

楽しみ
甘え
安心しきって

そこに
自分の価値を見出してしまって



自分の自我を
どこかに置いてきてしまった。




かつて僕は「我慢させられた」僕だった。


それが当たり前になって、僕は、
榊なしでは途端に脆けてしまう
砂の寄せ集めのような
僕になってしまった ようだ。



だから

榊に付き合うほどに
僕は僕がどんどん分からなくなった。


分からなくなれば
僕は僕を失い、続けるばかり。
消えていく、軸、というもの。

それが何と分からなくても
じわじわと不健康になっていくのは感じているのだろう

不安や恐れ、物足りなさを
埋めたくて
ますます榊に寄り添って寄りかかってもたれかかって。


憑依して、依存して
重ねて、同一視して。



喜びも怒りも不平も不満も
楽しみも
誰のものなのか
処理できなくなってしまった。

2倍3倍、時間も労力もかかるようになってしまった。
なんなら乗り越えられないこともある。


もちろんそのストレス反応期間、榊は僕のケアを意識せざるを得ない。
基本放置プレイだけれど
側にメンヘラが、ましてやそれが家族なら、気は張ると思う。



そんな阿呆なこと、あっていいのだろうか。

誰も幸せじゃないし
みんな不幸だ。


僕は、僕と、最終的な大多数の幸せにつながる
僕の幸せを、選択肢を
都度選び取らなきゃいけないし

嫌な選択肢を選ばないこともしなきゃならない。していいのだから。



榊が失敗しそうだから
突拍子もないことしようとしてるから
そばで見守ってやろう、何かあったら助けられるように控えてようなんて、もうしなくていい。


勝手にやって、帰って来てもらえばいい。

「いってらっしゃい」「おかえり」

それだけすればいい。
気持ちよく送りだして迎える
それだけできるように
僕の時間を過ごした方がいい。



軸がないからこそ
脆けているからこそ
ひとりになった方がいい。

崩れただけならまだしも

溶けて溶けきって
まざりきって
固まってしまったら
もう分離はできない。


いまのうち。いまのうち。
砂あるいは砂糖の城であった面影を残しているうちに。