母の持病について調べました
理解しているようで全然理解していなかった
理解してるように振る舞ってきていたのに(しかも全力ドヤ顔だった)、今は申し訳ない思いでいっぱい
強く生きなければと思った
と、同時に、
強く生きた方が良いことが多いのではとも思った
生きづらい理由を探すよりも、
それを跳ね返すほどの強さを培う方が
何倍も良いことがあるのでは、と
これは義務ではなく可能性で
やってみなければ分からない、十人十色の道だと
だからこそ、正解は自分で決められるし、
他人に理解してもらおうとする必要は無い
理解されないままで良い、理解してもらおうなんて最初から思っていない
そういうスタンスで生きるのはどうだろう
自分に合うだろうか
強く生きるも弱く生きるも自分次第、と思えている
つまり選ぶ余地がある今の自分は、
まだまだ余裕ということだ
椎野
話題:ひとりごと