以下なげえから読まなくていいと思う。
まとめるなら、門限を守らずに遊ぶことの意義を見いだせずに直帰していた数十年前から成長してない俺、ウケル(笑)です。
人って案外食わなくてもいける とか
布団に寝んのが恐ろしいから床で寝る とか
そんなだから仕事うまくいかなくて悪循環なんすかね
準備が足らん とか
…。←
ああまた一年が終わる。実績残さねえまんま終わらす気かな…まあ、イチロウもいってるが、1日一歩、次の一歩を意識すべきだからそこまで圧力感じたくねえんだが
現に新しい仕事楽しいし…いじいじ
ついでに夜は くれえことしか考えれんからダメなんだってー あほんだら
最近のことがあってか、死ぬことについてが頭よぎるんだわなー夜
や、俺が とかじゃなくて笑 大丈夫、死んでも自殺はしない笑
知り合いでちょっとな。
特に遠くにいる親のことだったり近くにいる教授のことだったり
優しくされればされる瞬間に、一生会えなくなるときのことを考える。反射みたいなもんか。俺は昔から先まで考えすぎる。馬鹿だな。だから将棋とチェスは得意なんだ、オセロは微妙。笑
このくそみたいな癖は結局治んなかったな。これから消えるだろうか。昔もよく悩まされた、つか単純に妄想広がって泣いたりしてたくらいだけど笑
癖ってさ、自分が無意識下に望んでしてることなんかな。反射、とはいえその行為が脳のどこかに気持ちいい成分送ってんだろうな。
最終的に、
どうせ会えなくなるのにそんな辛い思いして俺もあんたも何がしたいんだ。ってなるけど、答えは知ってる、つうかテンプレートあんじゃん。だから答えが欲しいわけじゃない。
本当に、人間ってなにがしたいんだろうな、ばかじゃねえの笑 昔の人が綴った文章を指でなぞりながら噛み締めるように読んでいったって、どんどんと彼らが遠ざかっていくように感じる。事実を照らし合わせて、どの書物を重ねても当時の人々の思考が重ならない。人間が書物を使って知識を語り継ぐから昔がある。束になってここまで繋ぎ止めてくれた人柱、俺らはそれの一部になって人生が潰えるんだろうな。それが良し悪しの話ではなくて…人は一部になる、の話。
もしもそうだとしたら、で俺の憧れの話をしよう。ほそぼそ人と生きる人生、特に唯一と共に越す人生。そういうのを実行出来る人間がすげえな、と思う反面妬ましかったりもする。一緒にいるだけで幸せ、だとかなにも要らないだとか、仕事は最低限で人を優先できる心だとか。…そういう相手が欲しい、という話じゃない。身を投じられるのが、という話。
なんつーか、そういう生き方をしてこなかった。見えないものを大事にする。とか、例えば人の絆や思い出や、その場限りの楽しみだとか、見えないもの。
言ってしまえば昔から、楽しい、は成果だったし今こそいつからか分からないけれど、膨大な史料を相手にして振り返ると周りに置いていかれた気になった。
道端に座ったりすればいいのに。
多分、そういう生き方はもう出来ないな。決めつけないけど余程なことがねえと、この積み上げたもんが崩れないし崩させない。
人と時を愛する人生を送りたかった。歴史を専門としているのにひでえ皮肉。
これまた仕事の無い人や自分のやりたいことやれてない人からみたら十分な嫌みなんだろうが。これからどうなるかはわかんねえけど、これまで癖になっちまったら最悪(笑)
だからきっと今さら、心から相手を出来なかった人たちに後悔しているんだと思う。
…だからなんだって話なんすがね。文章書きすぎは推敲前のぐちゃりそんまま。あー…この辺越えないといい論文なんか書けねえよ。
そして明日起きれるのか俺(笑)
起きましょうね。