水際を歩く僕の服はひどくよれていて、
一週間ぶっ通しでレポートとバイトとをやったみたいにやつれてる。
シャツを羽織った僕の体にはいくつも穴があいていて、シャツをなびかせながら通り抜ける風が冷たくて、寒くて、でも気持ちがいい。
穴がだんだん広がって消えていくような、飲み込まれるような、そんなイメージが僕の頭を支配した。
膝を折って水に手を差し入れるとひどく冷たかった。ざぶり、と足を踏み入れた。
凍えるような冷たさが足の先からじわじわと頭の方へと広がっていく。
駆け落ちをして、心中を決意した恋人のようには美しくない。
むしろ神聖な月の光を映す湖を汚していく気がした。
森の木々は醜い僕を隠すように繁ってくれていたのに、この湖は僕の醜さを際立たせた。
せめてものお詫びに、と僕はポケットに手を入れた。
そこにはいつもナイフが入っていた。そこそこの刃渡りのある、折りたたみ式のやつだ。
それから、瓶も取り出した。
人間というものは見るに耐えないものだが、瞳は美しく感じる。じっと見つめていると、様々な模様が見えてくるのだ。
この瞳を、網膜を通してどれだけの汚いものを見てきただろう。気の毒で仕方がない。
だから、僕はその呪縛から解放してやったのだ。
それなのに 奴らは吐き気を催すような気味の悪い音を上げた。
あああ、思い出しただけでも気が滅入る。鳥肌がたつ。
余りにも腹がたったので、音の発信源を切り裂いてやった。ヒュウ、と間抜けな音が鳴ったので僕はおかしくてたまらなかった。
水が胸の辺りにきた。
ナイフを僕に当てて横に引いた。
月明かりの色と混ざってなんともいえない妖艶な色になった。
そこに瞳を放してやった。
綺麗だった。
そして赤と戯れる姿は微笑ましくて、思わず声を上げてしまった。
耳障りだった。
せっかくの気分がぶち壊しだ。
そうだ、自分の声帯をとるのをわすれていた。
ナイフを当てると赤い飛沫が飛び散った。
美しかった。
陶酔しそうだ。自分がこんなにも美しかったなんて、今まで知らなかった。
綺麗だ、本当に。
僕は美しいものが好きだ。
こんなにも素晴らしいものがあるなんて。
僕は最近まで知らなかった。
この世界に嫌気がさして、手首に刃物を当てたとき、僕は衝撃を受けた。
全ての絶望も、恨みも、やるせなさもいっぺんに吹き飛んだ。
それからというもの、僕はその赤に魅せられた。
ねっとりと温かいそれは、僕を包んでくれた。いまだかつてこんなにも気持ちのよいものに出会ったことがあろうか。
嘘と、醜いきれい事ばかりをならべる唇からは僕を罵る音を発していたが、瞳だけは綺麗だった。
僕は汚い唇と舌を排除し、空気を震わせる声帯を切り取った。するとたちまち美しく生まれかわれるのだ。幸せだったはずだ。
僕は幻想的な思い出に浸りながら目を閉じた。冷たさが心地いい。
………僕の赤は少しばかり黒くはないか?
いっぺんに吐き気と恐怖と怒りが込み上げてきた。
音のならない喉でひゅうひゅうと風を通し、僕はナイフを振り回した。
美しくない。美しくない。美しくない。
さっきまではあんなに美しかったのに。
あいつらですら、あんなに美しくなれたのに。
僕はひたすらナイフを振り回した。
だんだんと動かなくなる。
闇に呑まれる。
どうして、どうして僕は美しくない。
恐怖だけが渦巻いて気が狂いそうだ。
体が動かない。
どうして。
月が嘲笑った。
お前も、人間だからさ。