ヨーロッパから帰国して改めて感じた「日本のコロナ対策」の異常性 「人それぞれ」が許されない社会(古市憲寿)

9/15(木) 5:55配信
デイリー新潮

 日本の空港から国際線に乗ると、スマートフォンを含めて時計を渡航先の時間に合わせる。時差ぼけ対策に使われるテクニックの一つで、あらかじめ身体を慣らしておくのである。

 2年半ぶりなのに、その習慣を覚えていたことに少し驚く。というわけで、久しぶりにヨーロッパへ行ってきた。メディアで報じられている通り、日本より一足先にコロナからの日常を取り戻している地域が多い。

 たとえばノルウェーでは、今年2月に正常化宣言が出され、全てのコロナ規制が撤廃されている。街中でマスクはまず見かけないし、レストランでも誰もアルコール消毒などしない。

 そもそもノルウェーの場合、コロナが流行していた時期でも、マスクに対する態度が日本とだいぶ違った。たとえば僕の友人の保育士は、マスクを着けるなと指導されていたという。子どもとのコミュニケーションでは、顔が見えることが発育上重要というのが理由だ。小中学校などでも、教師は授業中、マスクを外すことが推奨されていたという。顔が見えることによる教育効果と、マスクの感染予防効果をてんびんにかけた場合、前者のメリットが上回るとの判断があった。

 ドイツでは州ごとに方針が違うのだが、僕が訪れたハンブルクでは公共交通機関内ではマスク着用が義務付けられていた。罰金もあるので、多くの人がルールに従っている。街中のいたるところにアルコール消毒器も設置されていた。8月半ばの時点で陽性者の隔離義務もあり、欧州の中では慎重な政策を続けている。

 そんなドイツでさえ屋外でマスクをしている人は、ほとんどいない。「ハンブルガードーム」という移動遊園地が開設されていたのだが、隅田川花火大会ほどの混雑ぶりなのに、マスクはほぼゼロ。