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フィリピンの少年も同じであって欲しい

話題:台風



将来は強い兵士になりたい」−−。台風30号の直撃を受けたフィリピン・レイテ島タクロバンのスラム街で、父母と弟の家族計3人が犠牲になったフィルジョン・アブロガリ君(14)は、記者にそう夢を打ち明けた。被災から8日で1カ月。スラム街には悲しみを抱えながらも、懸命に前を向いて生きようとする人々の姿があった。

【比台風】きょう1カ月…生活の再建、まだまだ遠いが「命あるのが一番だ」

 タクロバン空港に近い海岸沿いのアリマサグ地区。かつては数千軒のバラックが密集していたが、台風の高波でほとんどが流された。7日に訪ねると、3000人以上いた住民のうち数百人が廃材で柱を組んでトタンをかぶせ、作り直したバラックでの生活を再開していた。

 フィルジョン君は年齢より幼い顔をした小柄な少年だ。台風が直撃した11月8日朝、家族5人で暮らしていた海岸から約500メートルのバラックを、ヤシの木ほどの高さの波が襲った。約2時間必死に泳いで疲れ果て、やっとの思いでヤシの木にしがみついた。

 波が膝の高さまで引くと、はぐれた家族を捜した。跡形もなくなったバラックがあった付近に、父ティオフィーロさん(62)と弟フィルマー君(10)が倒れていた。既に息はなかった。その場でうずくまって泣いた。まもなく姉(16)とは再会できたが、母エルビエラさん(45)は今も見つかっていない。

 「1カ月たってもまだ悲しくて悲しくて………。夢で会いたいけど、夢にも一度も出てきてくれないんだ」と小さな声で話した。

 地区から市街地までは歩いて30分ほどかかる。住民の不便を解消するため、市場でまとめて仕入れた雑貨や日用品を売る商店が目立ち始めている。フィルジョン君は被災後しばらく野宿をしていたというが、バラックを建てて2週間前からは姉や叔父(34)ら4人で暮らす。学校が再開するのは1月中旬の見込みで、今は市内でがれき撤去のアルバイトをしている。1日8時間で日当は500ペソ(約1170円)。食費を稼ぐため働いているのかと尋ねると、少しはにかみながら首を振った。

 「お金をためて、自分へのクリスマスプレゼントにTシャツと短パンとサンダルを買うんだ。クリスマスくらいはハッピーに過ごしたいから」

 兵士になりたいという小さな頃からの夢は被災後、一層膨らんだ。「大切な家族や友達を、僕が守りたいんだ」



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131208-00000017-mai-asia


安全な日本に住んでいて勝手なことかもしれません。
無礼な一言かもしれません。


かつて紹介した記事http://mblg.tv/hirasuzuke/entry/271/?cur=category&val=1
と同じく、この少年にも強く生きて欲しいと思う。

そして、立派な大人になって欲しいと願います。

日米開戦の日2

話題:歴史


真珠湾への奇襲で日米が開戦したのはご存知だと思います。
それが12月8日。

時の司令長官をご存知の方も多いだろう。
我が郷土の英雄の一人、山本五十六。

「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」

そう語りながらも、長官として真珠湾の奇襲を決行!


現代では、軍艦ホテルにて自分だけ優雅に暮らしていたなどのと批判も一部にはありますが、彼が日倍戦争に反対しながらも、最後は心血を注ぎ職務に当たったことは確かでしょう。


そんな歴史の一日、12月8日。

忘れてはならない一日だと思っています。
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