話題:歴史


生まれ落ちたその瞬間、鬼っ子と呼ばれ父親から嫌われてしまいます。
長沼藩に出され親の愛情とは無縁に育ちます。
それも時代。現代の価値観で推し量る訳にはいかない。



時経て彼は歴史の表舞台に出ます。

1605年、将軍の名代として豊臣秀頼と面会。この時秀頼は13歳。そして、名代も14歳。
2人は不戦を誓い合います。


徳川一族の歴史に詳しい方は承知していると思います。
松平忠輝。1683年没、享年92歳。


忠輝は秀頼との接見後、伊達政宗の娘である五郎八姫と結婚。
キリシタンとの交流。そこで医術と外国語を学びます。
3年の後、18才となった忠輝は家康と会います。この時、家康は才気溢れる忠輝を見て、鬼っ子が賢者に化けたと感じたとも言われています。

1610年、越後高田藩の藩主となります。川中島藩と合わせて72万石の大大名となります。


最後は秀忠に追われ、長野県諏訪にて天寿をまっとうします。


家康に嫌われ、不遇の人生であったとの見方が大半です。しかし、それ程までに嫌っていたのなら、野風の笛を託すでしょうか?


事の真実は歴史のロマンとしておきましょう。
隆慶一郎著「捨て童子」


なかなか面白い視点から描かれています。