話題:歴史
函館の高龍寺をご存知だろうか?
海が見える見晴らしの良い場所に建つ寺である。
しかし、函館戦争の時は別の場所にあったのだ。
赤十字の精神を掲げ、病院となっていたのだ。赤十字の精神とは敵味方を問わずに治療にあたると言うものである。
現実には榎本軍の負傷者が大半を占めていたのだが......
その寺に津軽兵や松前兵が乱入するのである。負傷者の多くが会津兵と知るや、問答無用で惨殺。更に火を放つのである。
戦時とは言え、負傷者に手を出す恥じらいが、松前兵や津軽兵にはなかったのだろうか?
あるいは会津兵は朝敵と言うことで殺されたのだろうか?
その後、高龍寺は現在の場所に移転。会津関係者が犠牲となった兵士を弔う為に碑を建てる。それが『傷心慘目』の碑である。
この碑は維新の礎として命を散らした会津兵を後世に伝えてくれます。
何時もコメントありがとうございます。
松前藩は榎本軍に一度追われてますからね。
そこに朝敵とされた会津の負傷兵。その瞬間にあったのは武士道よら、憎しみの感情だったのでしょう。
何時もコメントありがとうございます。
負傷者に手を掛けるのはやはりおかしいです。
ただ、当時の日本では国際法が浸透してませんでしたから、仕方の無い事だったのかもしれません。
武士としては許されない行為ですがね。
まぁ、大陸や半島の輩は負傷者どころか、死者に対しても何かやる鬼畜ですからね。
でも、戦えない怪我人に留目をさすやり方は許せませんね。
弱り目に祟り目→えげつなさは拘置所で自殺した角田美代子とその取り巻き連中(在日)を思い出さずにいられません。
武士の風上におけぬ非道ですね。
赤十字は敵味方問わず助ける精神なのに、なんて気持ちの狭い…
支那やチョンならやりそうですが(苦笑)
日本人はそういうことはしてはいけないと思います。
歴史の恥部ですね