話題:歴史



函館の高龍寺をご存知だろうか?

海が見える見晴らしの良い場所に建つ寺である。


しかし、函館戦争の時は別の場所にあったのだ。
赤十字の精神を掲げ、病院となっていたのだ。赤十字の精神とは敵味方を問わずに治療にあたると言うものである。

現実には榎本軍の負傷者が大半を占めていたのだが......

その寺に津軽兵や松前兵が乱入するのである。負傷者の多くが会津兵と知るや、問答無用で惨殺。更に火を放つのである。
戦時とは言え、負傷者に手を出す恥じらいが、松前兵や津軽兵にはなかったのだろうか?

あるいは会津兵は朝敵と言うことで殺されたのだろうか?


その後、高龍寺は現在の場所に移転。会津関係者が犠牲となった兵士を弔う為に碑を建てる。それが『傷心慘目』の碑である。

この碑は維新の礎として命を散らした会津兵を後世に伝えてくれます。