話題:歴史



1860年、日米修好通商条約批准のため訪米する。時に39才。
この旅で男は大きな感銘を受ける。
米国の艦長は日本の高官と違い、自ら先頭に立って働き、特段の働きをした部下を称えた。

また、選挙制度に触れ人間の平等さを知る。

男の名は玉虫左太夫。仙台藩士である。
米国での見聞を、『航米目録』にまとめるのである。


時が流れ戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府一行が仙台に来る。高圧的に会津討伐を要求。
この時玉虫は断固拒否の姿勢をとり、仙台藩は奥羽越列藩同盟へと進みます。

結果は惨敗に終わり、参謀として参戦していた玉虫は自刃へと追い込まれます。

参謀ではあるが、仙台藩の責任者と言う訳ではなく、35石程度の下級武士。そんな玉虫が何故に自刃まで追い込まれたのか?
それは薩長に擦りよる勤王派と称す一派が玉虫の首まで差し出したのである。


自刃を知った福沢諭吉は
『仙台藩の無情にひどく腹が立つ』と嘆いたと言われています。

玉虫の首を差し出した勤王派。いつの時代も強者になびく輩がいます。