投薬の功罪 おぼえ書き

そうだった

機能性ディスペプシア の時
アコファイドという薬を出された。

確かに効いた。
食後の不快感や不調がなくなり、食欲が戻ったというか、食べることへの抵抗感(拒食とはまた違う)というか緊張やプレッシャーが減った。

が、それがだんだんと怖くなった。

薬で食欲を出してること。

薬をやめたら元に戻るの?
この状況って異様あるいは不自然じゃないか?

自律神経失調とS医師

精神的な不調ではないので精神科的な処方はできないんだよね、と医者は困ったように答えた。


循環器科から、自律神経失調とのことで、心療内科に行くよう言われて来たのだが、
あくまでやんわりと、むしろ循環器科で出してもらうようにとの旨、告げられた。

思い出せば、数年前もこんなやりとりしてたかも。(それで循環器科を探してこの度かかったんだった…)

どうにもならなくなってしまったこの展開に僕は困惑はしたものの、この医師の言葉は、僕が身をもって知ったその通りであったから、反発心はみじんも起きなかった。



体調不良のどん底で、ベッドから起き上がれなかった時、僕は安定剤をダメ元で飲んだ。
効く確信も自信もなかった。しかし他にどうにも手立てがなく、縋る思いだった。大袈裟だが、決死の覚悟だった。失敗すれば副作用とともに一日をふいにしなければならない。
しかし見事に失敗した。僕は副作用のひどい怠さと深い失望を抱えて1日眠って過ごしたのだった。



幸い、この心療内科の医師は
とても親身であり、投薬よりもカウンセリング(診察や説明)に力を入れてくれているので、加えてこう説明してくれた。

自律神経、調節機能が貴方は人よりヘタクソでもありますが、血圧も相当低いです。
確かに昇圧剤というテもあります。ですが、効果よりリスクが大きいので、処方はお薦めしません。

その言外には、つまり、循環器の医師が心療内科に振ったのも同等の理由だと思いますよ、と僕は察した。


この心療内科医師は、良くも悪くも薬を処方したがらない。

漢方ですら、永続的に飲まなければならないという(効果に対する患者の負担)を考慮して、勧めない。
その他複数のナントカ療法についても自身で列挙しつつ、すべて、困ったように笑って、濁していた。(そのかわり、話はとことん聞いてくれるし、説明や助言を十二分にしてくれることは、重ねて伝えておきたい)

治療は、地味に、長期戦なのだ。続かなければ意味がない。


水をこまめに飲む、とか、朝から軽い運動するとか、血圧が低すぎて動けない僕(実際にそれやって朝から倒れた)には、熱いシャワーを提案してくれた。

水の飲み方も、利尿に働かないように、少量をこまめに飲むんだよ、と子どもに説明するように詳細に説明してくれた。そんな具合だ。



薬で自分の都合に心身を引っ張りあげるのではなく、自身の状態に気付き、認め(認識)、それを受容しながら、自分の歩調を心身に合わせていく

そういう心がけを示された。
言葉ではなく、対話の中で。

会話は疲れた。一喜一憂もした。
でも、五感から脳へ流れ込み、一晩かけて細胞に落とし込まれた気がする。
医師の話の表面ではなく、本質が、本質だけが、心に残っていた。

(榊がかねてから田舎に暮らしたい、農家になりたい、そう言っていたのは、
農家になりたいんじゃなくて、田舎が好きなんじゃなくて(いや、それもゼロではないけれど)
自分の特性ゆえに、そういう環境や働き方が合っている。そうでないと自分が潰れてしまう、
そういう意味だったのだ、と今更になって理解した)

今朝、僕は脱皮したような、心が、ほんの少しだけ生まれ変わった(部分がある)ような境地だった。
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