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明暦の大火


話題:歴史


江戸の街が火に包まれます。
炎は江戸城にも飛び移り、天守閣をも燃やしてしまいました。
世に言う明暦の大火です。

 「天守閣を再建しようと思えば莫大な金がかかる。それならばその金で家を失った人々を助ける方が余程価値があるだろう。」

そう語り、天守閣の再建は行われませんでした。
現在の皇居に天守閣がないのはこの大火が原因です。

この方針を決めたのは保科正之。三代将軍家光の弟にして、四代将軍家綱の後見人です。徳川政権を支えました。

そして、幕政に参加しますが、大名でもあります。そう、私が敬愛する会津藩の初代藩主なのです。

その他にも上杉家の危機を救うなど、その活躍は名君と語って良いでしょう。
戊辰戦争で西軍に敗れた為、朝敵となった会津藩を讃えるなどとんでもないと言う事で、無名に近い存在ですが、本来ならば江戸時代の名藩主として尊敬を集める人物であったと思います。
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