サイコロの出る目の確率はどの数字も1/6。
そのサイコロに小細工をせず、重心もその形状の6面体にも、何らの偏りが無かったら数学的には当然の確率。
一方、その確率をゲームの勝敗に当てはめる時、つまり勝敗率として考える時、数学的には確かにサイコロを6回振って指定された数字を出せる確率は1/6。
不思議な事に、運は時として数学的な確率を無視すかのように、ゲームに勝ったり負けたりする。
カジノを経営する会社が、利益を追求するために経営されているのは、例えば一人の顧客がカジノを楽しめば、ゲームに賭ければ賭ける程、会社には利益が入る仕組みになっているから。
逆に言えば、カジノを楽しんでいる顧客はゲームをこなせばこなす程、カジノの会社に利益をもたらしている事に・・・。
けれども、時としてゲーマーにはラッキーが、勝利に導いてくれることがある。
ショッチュウは勝てないけれど、時にバカ勝ちする事がある。
そこで、勝ちでゲームを納めたいなら、退き際がポイントになる。
ゲームへの時間の投資は、確率的には長引けば長引くほど、ゲーマーには有利ではない・・・。
でもゲームに戦略、攻略方法があれば、ほぼほぼ常勝しているゲーマーも現れたりする・・・?
極端な例で言えば、麻雀は確率の要素が多分にあるゲームと言えるけれど、戦略を図れば負けを少なくして、勝ちを大きくすることもできる。
このゲームは、戦略を持っているゲーマーの方が勝ちやすい。勝つ確率が高い。
手に負えないラッキーが重なれば戦略無しでも、大勝ちはできる。
しかしその勝てる確率は、戦略を知っているゲーマーの方が高い。
話変わって、この世。この世界。今いる空間は、"自発的対称性の破れ" ヒッグス粒子の発見でノーベル賞。
質量の本質が解明されて、さらには美しさ・対称性は破れる事を示唆している・・・?
言い換えれば、数学的な確率を超えたラッキーはもしかしたら、あるかもしれない・・・?
冗談はさておいて、純粋な数の論理だけで、ゲームの勝敗は決まらい。
勝つときは勝つし、負けるときは負ける。
そもそも、経済だって株式投資だって、戦略性のあるゲームの様なモノ。投資家に射幸心が無いとは言えません・・・?
ギャンブラーも投資家も経済に貢献している。