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初の国際裁判


話題:歴史



最近は歴史記事ばっかりな気がします。まぁ〜やっていて私が楽しいから良いですよね!










1872年、横浜に一隻のペルー商船が入港します。マリア・ルース号。
清国人200名以上を乗せていたのです。なんと清国人は奴隷として本国で売り飛ばされる為に乗せられていたのです。

事態を重く見た時の外務卿は、
「人道上許せぬこと」
として船長を裁判にかけます。そして、監禁中の清国人を全員釈放します。
ペルーはこの対応に怒り、損害賠償を要求。
しかし、日本政府は断固拒否。国際裁判で決着を計ります。この時の外務卿が副島種臣(ソエジマタネオミ)である。

詳しくしりたい方例により各自お願いします。



国際裁判だから米英の意向を意向を伺おうとしました。
困ったのは米英。両国とも表面上は奴隷廃止を謳い始めていたのです。
こうなっては米英も日本の主張に賛同せざる得ません。
こうして、日本は初の国際裁判に勝利しました。

この結果の意味は大きく、アジアを植民地化し、更に奴隷化しようとする欧米に対し、曇り無き日本の姿勢を示しました。


後にこの理念が大東亜戦争(太平洋戦争)に繋がって行くと考えるのは私だけでしょうか?
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