こんばんは。


今日は私の地域は雨。
だからなのか色々と不調気味。
この身体が調子が良いときなんて本当に少ない。
でも、そんな中でもスマートフォンで久しぶりに漫画を見ることができた今晩だった。

私は「青春」とは程遠い人生を歩んできたと思う。
それでも私なりに努力して、頑張って。
今、私の手元に何が残っている?
粉々になったプライドや自尊心の欠片だけなのかもしれない。
その欠片を逃さないように握りしめると、血がポタポタと流れてくる。
でも、この残された欠片を逃すわけにはいかない。

本当に当たり前のことなのだけど、私はこの身体で生きてきた。

私と出逢った当時のことをカウンセラーは「目の前にいるのだから存在しているのだけど、この子は存在しているのだろうか?と思った。まるで宙に浮いているようだった」と言っていた。
それから10年以上が経ち、縁があり再び同じカウンセラーのもとに戻ってきた私を「足が地面にめり込むこともあるけれど、ちゃんと地に足がついている」と言ってくれている。
そうカウンセラーが感じてくれたのは、私がこの身体で生きてきたからなのだと思う。

あいみょんの「生きていたんだよな」の歌詞が浮かぶ。

私は幸せな帰り道、車内でふと死にたくなるときがある。
「あー、幸せだな」と思うと同時に「あー、死にたいな」と思うのだ。
多分「死」と「私」は表裏または裏表なのだ。
16才頃からずっと死を身近に思ってきた。
多分もう、私の人生から死を切り離すことは難しい。

健全に生きてきた人から見たら、もしかしたら私は異物に見えるのかもしれない。
でも私は「こんな私」だと自身を卑下したくない。
もしかしたら、その気持ちが、粉々になったプライドの欠片なのかもしれない。


今日は入院中の出来事を、ふと思い出した。
とてもとても理不尽で、ちっぽけな世界だった。
当時、自室の2階の窓から飛ぼうとしたのは、死にたかったわけじゃない。
無意識に生きようとしていた。
その場にいると私は死んでしまうから、窓から飛んで、その場を去ろうとした。
ただそれだけのことだった。
保護室に入った私に、心から寄り添ってくれた職員には、私も心から感謝している。

どうやら、SEKAI NO OWARIの深瀬さんも過去に保護室を経験しているらしい。
きっと私が想像できないほどのことを、その身体に引き受けてきたのだ。

「君は病気だからと、お医者さんがくれた、この薬を飲んだなら深い眠りに落ちるんだ」
「強くなれ、僕の同士よ」

「銀河街の悪夢」で彼は綺麗に歌っている。
この歌に、正確には彼が歌うこの歌に、どれほど支えてもらったことか。

強く、強くありたい。

死を身近に思う人が、何を馬鹿げたことを。
そう思う人が多いと思う。
私自身もそう思う。
矛盾しているじゃないかと。

どちらも私なのだ。
「あー、幸せだな」と思うのも「あー、死にたいな」と思うのも私。

今は、それでいい。



思考の沼にハマりそうだから、続きはまた今度。