中学時代の友人。

今、Instagramを見て知ったのだけれど。

中学時代の友人が今日、入籍をされていた。
しかも妊娠5ヶ月。

とても嬉しいし、おめでたいね。
身体を大切に、幸せになってね。と強く思う。

忘れないように、この場所に残しておく。


だいぶ疎遠ぎみになっている友人だけれど、会いたいな。

D

今でも元彼とその母親と一緒に生活していたときの傷は、完全には癒えていない。
ふとしたときに思い出す。

それも私が生きてきた道なのだから、仕方ない。

傷はとてもとても深く感じるし、元彼と過ごした5年間で失ったものもたくさんある。
元彼の言動が原因で入院を経験し、その入院生活もショッキングなものだった。
今でも、その入院時の衝撃や苦しみを感じる。
5年も経ってるのにね。

フラッシュバックは、とても簡単に起こる。

それも良し。
今は、そう思う。

可能なら、もう少し色々と頑張りたい。
仕事も恋愛も実家との関係も。
もうヘロヘロだけれど。
頑張りたいって強く思う。



私の好きな人が、これを読んでくれているあなたが、よく眠れますように。

お休みなさい。

C

とてもとても辛くて苦しくて、でも死ぬのも違う気がした。

カウンセラーは、そう思える私の心を褒めてくれた。

2週間に1度、50分間のカウンセリングで何度も何度も元彼のことを話をした。
事情を全て知っている友人は、私を心配して、頻繁に連絡をくれた。
とても有り難いことだった。

先日、カウンセラーと話をした。
カウンセラーは私のことを「元彼といたときは元彼の顔色を伺っていた」と言った。
「今はちゃんと自分の人生を生きてる。スムーズには行ってないけど、地に足がついてるよ」とも、言ってくれた。

もう元彼のサコッシュにつけられたキーホルダーでいる必要はないのだ。

「人生1度きり」という言葉があまり響かないのが本音だけれど。
それでも自分の人生を生きたいと思った。
元彼のもとにいたら、キーホルダーのまま人生が終わると思った。
キーホルダーでいることの方が楽だけれど、私は金具を壊した。

言葉にすると、とても簡単になってしまうけれど。
私にとって元彼とその母親のもとを離れた7月8日は、独立記念日だ。

B

元彼は最後の最後まで自身で考えることはせず、上司に電話をし、上司が言った言葉を元彼の言葉として私に伝えてきた。

私はこんな人を好きだったのだ。
元彼は、自分の人生の舵切りを他人に任せてしまうような人だった。

元彼のどこが好きだったのか本当に分からないのだけれど、もう理屈云々ではなくなっていた。
ただ運命共同体のような、そんな感覚だった。

元彼は私が実家に頻繁に顔を出すことも良しとしなかった。
年末に実家に泊まりで帰ることも苦労した。
私が体調があまりよくなく「身体を休めたい」と伝えても「この家はそんなに居心地が悪いんかい」などと言い、不機嫌になった。
「俺の面子が…」と、よく言っていた。

元彼は幼かった。
そして私は元彼のキーホルダーだった。
元彼のサコッシュにつけられたキーホルダーの私は、サコッシュとキーホルダーを繋ぐ金具を壊したのだと思う。

私の楽な人生は、元彼のキーホルダーとして生きていくことだった。
でも、そんなことしたくなかった。
元彼のキーホルダーになりたくないという気持ちも日に日に薄れていく中で、私は金具を壊してしまった。
そしたら私は、とても戸惑った。

当たり前だ。

A

それでも元彼には申し訳ないことをしたと思うことがある。
私の荷物の多くを一緒に暮らしていた家に置いてきたことだ。
毛布や掛け布団、布団、車のタイヤなど処分するのも大変なものも置いてきた。
元彼が花も指輪もなくプロポーズをしてきて、プロポーズだとは気づかずに私は返事をした。
元彼がその言葉がプロポーズだと言うから私は引き返せなくなり、「せめてお花が欲しいです」と伝え、後日、7.8千円ほどのプリザーブドフラワーを無理矢理買ってもらった。
そのプリザーブドフラワーも置いてきた。
ペアリングもプレゼントしてくれたダイヤのネックレスも置いてきた。
元彼はそれらを自ら処分するのだ。
辛いだろう、とても。
労力も必要とするだろう。

(今となってはどうでも良いことだけど…
私に催促されてプリザーブドフラワーを買った元彼はそれ婚約品だかなんだとか言い、「お返しに時計が欲しい」と私に言ってきたことがあった。
金に媚びる精神は、元彼の母親から受け継がれたのであろう)

さようならも、ありがとうも言えずに離れた。
でも、それは元彼が招いた結果だと私は思っている。
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